コラム:キズナアイ・千田有紀騒動における4つのすれ違い(勘違い)

キズナアイ

NHKがWeb上に公開したノーベル賞の解説ページでバーチャルユーチューバーの草分け的存在であるキズナアイが起用されました。このことに対して弁護士の太田啓子さんや社会学者の千田有紀さんが疑問を呈しました。それに対して多くのネットユーザーから批判の声が上がりました。そこからさらに千田有紀氏自身への批判へと加速することで騒ぎが大きくなっていきました。

参考:
キズナアイに関する太田啓子さんと千田有紀さんの発言を切り取らずに全部まとめてみた
まるわかりノーベル賞2018|NHK NEWS WEB
ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中【追記あり】
「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて
【炎上】社会学者の千田有紀、ノーベル賞を解説するキズナアイが女性差別だとケチをつける

この問題が大きくなった原因には4つのすれ違い(勘違い)があったことが大きように思います。

「性的表現」の定義のすれ違い

この騒動の中心となったのは、キズナアイが性的表現かどうかという問題です。しかし、「性的表現」とはなにか、という定義が双方で共有されないまま、そしてそこで食い違っていることに気づかないまま、騒ぎが大きくなってしまったように感じます。

辞書によると、「性的」という言葉には2つの意味があります。

① 性欲に関するさま。 「 -な魅力」 「 -な関心」
② (男女・雌雄の)性にかかわるさま。 「 -特徴」
大辞林 第三版

キズナアイ起用肯定派にとっての性的とは①の意味で、キズナアイ起用反対派(のうちの千田有紀さんなどの良識派)は②の意味で使っていると考えられます。

キズナアイが女性らしいかわいらしさを持ったキャラクターであることは疑いがないはずです。

千田有紀さんの主張は決して「キズナアイは性欲を喚起するポルノだ」という主張ではなかったように思います。

千田有紀さんの主張を勝手に汲み取ると以下のようなものになると思います。

―キズナアイは女性らしいかわいさを売りにしたキャラクターだ。「女性はかわいらしくあるべきだ」というジェンダー規範があるから、「女性らしくかわいい」キャラクターに人気がある。しかし、「女性はかわいらしくあるべきだ」というジェンダー規範が、(かわいらしさとは対極の)理系研究への女性の進出を妨げているのではないか。だから、公共放送のNHKには「かわいらしい女性」キャラクターではなく、白衣を着た女性科学者など「知的な女性」キャラクターを起用することで、そうしたジェンダー規範の変革に取り組んでほしかった。

もちろん、この主張にも賛否はあると思いますが、そこまで過激な思想でしょうか。男女共同参画社会を願う普通のフェミニストといったところでしょう。

ですから、千田有紀さんの主張に対する反論として多く語られる、「キズナアイは女性にも人気だ。」というのは無意味です。

なぜなら、ジェンダー規範は男性だけが持つものではなく、女性も持つものです。女性も「女性はかわいらしくあるべきだ」というジェンダー規範を持っているので、女性にもキズナアイが人気があるとも考えられるのです。

かつて洗濯機が開発される前、洗濯は女性の仕事でした。女性の負担の軽減を目的に開発された洗濯機でしたが、当初は女性自身が「洗濯を機械にまかせるなんて贅沢」と否定的でした。いま、「洗濯は女性の仕事であり、機械に頼るべきではない」という考えの人はほとんどいないでしょう。女性の意見自体が社会規範にとらわれている可能性があるのです。

千田有紀という人物像へのすれ違い

当編集部は千田有紀さんの主張は、賛否は分かれるとしても、良識ある問題提起であったと考えます。

しかし、多くの人(キズナアイ起用反対派も含め)にとって千田有紀さんの主張の本質は理解されませんでした。

そして、「性的」表現の定義ですれ違った両者は、さらにすれ違いを加速させていきます。

千田有紀さんが「キズナアイ」を「ポルノ(先の①の「性的」)」と言っていると思ったキズナアイ起用肯定派は、千田有紀さんをよくいる「萌え絵=キモい=規制しろ」おばさんだと勘違いしました。

一方で千田有紀さんはある程度サブカルチャーにも通じた人で、漫画やアニメ、萌え絵を毛嫌いしている人物ではありません。キズナアイには詳しくなかったようですが。おもにBL方面に関心があったようです。

千田有紀さんを「自分の好き嫌いで規制しようとしている人」という文脈で批判するのはお門違いです。

決して萌え絵やオタク文化を否定したいわけではなく、自分をオタクだと自認する千田有紀さんはこの「萌え絵=キモい=規制しろ」おばさん認定に苛立っていきます

千田有紀発言へのすれ違い

「萌え絵=キモい=規制しろ」おばさん認定に苛立ちがピークに達した千田有紀さんはツイッターで「私を誰だと思っているのか」という発言をしてしまいます。

これは、「萌え絵=キモい=規制しろ」おばさん認定に対する反発に過ぎなかったのですが、この発言が「私は有名な社会学の教授様だぞ」という意味に解されることによって、権威主義者だと勘違いされ、そこから千田有紀さん自体への批判が繰り返されるようになっていきました。

キズナアイというキャラクター性へのすれ違い

千田有紀さんをはじめキズナアイ起用否定派は、キズナアイというキャラクターについてあまり知らないのではないかと思います。

どうせだったら、人工知能という設定を生かして、もう少し専門的な解説をする役割を、振ることはできなかったのか
(引用:「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて(千田有紀)

これは難しいのではないかと思います。なぜならキズナアイはバカだからです。

この件に関して千田有紀さんは「キズナアイは人工知能なのだから、知識豊富で専門的な解説も可能」という人工知能に対するステレオタイプ的な見方をしてしまっています。これは「AIは優秀でなければならない」という社会規範の生成につながるおそれがあります。

まとめ

性的かどうかの定義の違いに端を発して今回は炎上とも言える大きな騒動になりました。

しかし、本来議論されるべきであった、キズナアイ起用で「女性はかわいらしくあるべき」という規範が再生産されるのか、そもそも「女性はかわいらしくあるべき」という社会規範が存在するのか、存在したとしてそれが問題なのかという部分が議論されずに終わりました。

キズナアイ起用肯定派の問題点

  • キズナアイ人気の背景に「女性はかわいらしくあるべき」というジェンダー意識がある可能性を考慮していない。
  • 千田有紀さんを、萌え絵をすべてポルノだと考える偏狭で頑迷な人物だ決めつけ、個人攻撃に走ってしまった。

キズナアイ起用肯定派は、千田有紀さんの「女性はかわいらしくあるべき」というジェンダー規範が再生産されてしまう、そうした表現を公共放送であるNHKのサイトで行ったということに対する問題意識を理解しようともせず、千田有紀さんを「萌え絵=キモい=規制しろ」的な表現規制論者だと勝手にみなしてしまいました。

さらに千田有紀さんの論に対して向き合わず、個人の人格攻撃に走ってしまいました。このせいで本来良識派である千田有紀さんが求めていた「議論の場」が崩壊していきました。

千田有紀さんの問題点

  • 全体として、言葉足らずな面が多く見られ、勘違いを誘発させてしまった。
  • 女性というジェンダー規範以外の社会規範に無頓着であった。
  • 「根拠は自分」という論法。

しかし、千田有紀さんのTwitterのつぶやきには言葉足らずの部分もありました。これはTwitterやネット社会自体の問題と言える部分もありますが、改善の余地はあったように思われます。

また、女性というジェンダー規範に対する問題意識の強い千田有紀さんですが、「白衣を着た女性科学者」や「人工知能だから専門的な解説」と発言から、「科学者」や「人工知能」に対してステレオタイプ的な見方に自身が陥っていることに無自覚でした。

さらに、現代社会で女性が受けている抑圧について、自身の体験に基づいて論を進めていますが、こうした「根拠は自分」という論法は、もともとの支持者には刺さるのですが、反対派を説得する材料にはならずむしろ嫌悪感を抱かれるというのを理解しておくべきでした。

今回の騒動で忘れてはならないこと

当編集部では、キズナアイの起用自体には問題なかったと考えています。しかし、千田有紀さんの問題意識には耳を傾ける価値はあると考えています。千田有紀さんの理論自体には賛成するけれど、今回はセーフだという立場です。なぜなら、あくまでNHKとはいえあくまでWebサイト上での解説であり、見たい人が見れば良いものだからです。

今回の件で、フェミニスト自体を批判するような主張も多く見られました。しかし、こうした女性学の研究者・運動家によって、ようやく今の女性の地位があることを忘れてはなりません。ほんの七十数年前までは選挙権すら与えられていなかったのですから。

もちろん、フェミニストの中には自分の都合の良いときだけ規制を推進し、自分の都合の良いときだけ解放を訴える人もたくさんいます。でも、バカの発言ほど大きく聞こえるのは、どんな思想を持つ勢力の中でも一緒です。ネトウヨ問題もパヨク問題もそうでしょう。

しかし、今回槍玉に挙げられた千田有紀さんは比較的良識派で穏健派の話がわかる人であったはずです。こうした人との議論のなかでよりよい社会は実現されるのではないでしょうか。